アジア活版資料館

活字のぬくもりを今に伝える

版木時代から今日まで多くの印刷に携わった先人たちが、日夜研さんを重ね、編集者をして「芸術的」とも云わしめた作品(印刷物)を作り上げました。そんな貴重な技術も、デジタル化の進歩とともに消えていく運命にあります。
しかし、活版時代の手造りの工程を保存することによって、往時を懐かしむだけにとどまらず、貴重な活版文化の遺産として本造りに携わる若い皆さんのために何らかのご参考になれば、その使命を果たせるものと存じます。 (館長 藤森義昭)

母型
活字は母型に鉛合金を流し込んで鋳造します。ベントン彫刻機を使って直接母型を彫る彫刻母型、ベントン彫刻機で父型を作り黄銅剤に打ち込んで作る打ち込み母型などがあります。鋳造方法は、手鋳込みと自動鋳造機を使った機械式のものがあります。

手差しの活版印刷機
活版印刷とは、活字と呼ばれる鉛でできた文字を組み合わせて作った版で印刷することを指します。文選、植字などを経て版全体を作り上げていきます。文字ごとに大きさの違う数千種以上の活字から適切なものを選択する必要があるため、熟練の腕が必要とされます。

手差しの活版印刷機
手差しとは、職人が1枚ずつ手で紙を印刷機へ差込む仕組みの機械です。自動の機械では通らない極端に薄い紙などにも印刷できましたが、印刷できる枚数に限界がありました。後に活版印刷機が自動の紙送り装置を装備し用紙の自動給紙により印刷速度が速まりました。

鉛版印刷
活字組版の複製を鉛合金で作ったもの。活字組版は大量に印刷すると磨滅する為、複製鉛版を何枚か使用して印刷します。重版などに再度使用できるよう原版(活字組版)から紙型用紙を圧して作った紙型を保存しておき、この紙型を用いて鉛版を形成します。

和文タイプライター
「和文タイプライター」は、1文字ずつ活字を拾い出して打って行くタイプライターです。
約2000文字の中から必要な字を1字ずつ打ち込んでいくため、これを操作するにはかなり高度な専門の技能が必要とされていました。

木版
文字通り木から彫って木版にしていました。板の反りを防ぐため版木は両面を彫ります。日本では山桜を利用し「桜版」とも呼びます。一枚一枚直接手で彫り、墨などを塗り手で印刷していました。木版印刷は次第に難しくなり活字印刷に代わっていきました。

明治にドイツから輸入された手引印刷機

グーテンベルクはワイン作りのぶどう搾りプレスにヒントを得て、あの有名な「グーテンベルク印刷機」を考案したとされています。
日本ではその流れをくむ活版印刷が400年後の明治の初頭1870年頃に誕生しました。手引き印刷機は明治20年後半から明治30年代前半にかけて、ドイツから数十台輸入されたといわれています。ある統計によりますと明治28年頃に、全国に開業印刷所が100社ほどあったようですが、平成時代まで存続している印刷機は極めて僅かです。
この「手引印刷機」は前記の輸入された印刷機の1台らしいと思われます。中野市の(有)日野印刷所が昭和40年頃まで活版校正機用として使用していました。明治30年、現社長浦野良一氏の曾祖父の兄浦野良卓氏が、東京へ印刷技術の習得のため3年間修行し明治33年帰郷、日野村(現中野市)で創業したとのことです。資金的にも富裕で創業間もなく購入したと記されています。印刷能力は300~500枚/時が限度でした。

アジア活版資料館について

  • 開館時間:10:00~16:00
  • 開館日 :月曜日~金曜日
  • 入館料 :無料

ご来観の際は、弊社総務部までご連絡ください。

長野本社(総務部)

026-243-4859

〒380-0804
長野県長野市大字三輪荒屋1154番地

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