版木時代から今日まで多くの印刷に携わった先人たちが、日夜研さんを重ね、編集者をして「芸術的」とも云わしめた作品(印刷物)を作り上げました。そんな貴重な技術も、デジタル化の進歩とともに消えていく運命にあります。
しかし、活版時代の手造りの工程を保存することによって、往時を懐かしむだけにとどまらず、貴重な活版文化の遺産として本造りに携わる若い皆さんのために何らかのご参考になれば、その使命を果たせるものと存じます。 (館長 藤森義昭)
グーテンベルクはワイン作りのぶどう搾りプレスにヒントを得て、あの有名な「グーテンベルク印刷機」を考案したとされています。
日本ではその流れをくむ活版印刷が400年後の明治の初頭1870年頃に誕生しました。手引き印刷機は明治20年後半から明治30年代前半にかけて、ドイツから数十台輸入されたといわれています。ある統計によりますと明治28年頃に、全国に開業印刷所が100社ほどあったようですが、平成時代まで存続している印刷機は極めて僅かです。
この「手引印刷機」は前記の輸入された印刷機の1台らしいと思われます。中野市の(有)日野印刷所が昭和40年頃まで活版校正機用として使用していました。明治30年、現社長浦野良一氏の曾祖父の兄浦野良卓氏が、東京へ印刷技術の習得のため3年間修行し明治33年帰郷、日野村(現中野市)で創業したとのことです。資金的にも富裕で創業間もなく購入したと記されています。印刷能力は300~500枚/時が限度でした。
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